風鈴にならう チリン♪

 今年は例年に無く暑い暑い夏でした。光雲寺のある鹿野は山間部にある為例年は夏でも涼しい風が吹くことが多いのですが、今年はそんな淡い期待を裏切られる結果となっております。そんな暑い夏の中、僅かに心を癒してくれているのが本堂の軒先につるしてある風鈴の音色です。チリン♪チリン♪と良い音が響き渡るとお参り来られた方々から「涼しくなりますね」と言っていただけます。風鈴がなっても気温が下がるわけではないのに耳と心が涼しさを感じるのでしょうから不思議なものです。

 

 道元禅師のお師匠さまである如浄禅師はこの風鈴の姿に禅の教えを重ねられてこのような詩を残されています。

『 渾身口に似て 虚空に掛かり東西南北の風を問わず一等に 侘の為に般若を談ず滴丁東了 滴丁東』

  • 風鈴は大きな口を開けてぶら下がり 東西南北どの風も選り好みすることなく受け止めて己のつとめとして 良き音色を奏でている その音は自分も他人をも穏やかな心へと導いている チリンチリン

 

縁という風は万人平等に私たちに吹いてくれています。しかし私たちは隣の人には良い縁が来て自分には良い縁が来ない…この出会いはいいけどあの出会いはいらない…そんな選り好みをしては今の自分に満足できない時があるのではないでしょうか。自身に吹いてくる縁の風を精一杯自分のつとめだと思ってつとめ切ることが人間の使命であるでしょう。そして自分のつとめを精一杯つとめること(良き音色を奏でること)は自然と周りの人たちの耳をも楽しませ幸せにしていく力をもっているのではないでしょうか。風鈴のように縁を心地よい音色へと変えていけるような生き方をめざしていきたいものです。 

 

まだまだ残暑が続く予報が出ております。体調にくれぐれも気を付けながら秋の到来を待ちたいものです。

                   住職 合掌

利行は一法なり

 

 先月行われた冬季オリンピックでは日本中が歓喜の渦に包まれました。普段なかなか見ることのない冬季スポーツでしたが興味芯々にテレビにかじりつく二週間となりました。そして選手たちの頑張る姿や素晴らしい結果に沢山のパワーをもらったような気がします。スポーツ観戦は見ているこちら側が多くの力をもらうことができるよう思います。

 その冬季オリンピックが始まる少し前、オリンピックに参加するある選手がテレビインタビューを受けていました。その話の中でメンタルトレーニングについて話があったのですが、なかなか良い結果が出ないで苦しんでいた選手がメンタルトレーニングの先生にこのように言われたそうです。

「自分が良い結果が出るイメージを持つことも大切だけれども、自分だけでなくて周りの誰かが喜んでいる姿をイメージしてトレーニングをしなさい」

その後そのように言われた選手は周りの誰かが喜ぶ姿をイメージするようになり、途端に記録が伸びていったそうです。人を思う事でいつも以上の力が出るという人間の奥深さを感じさせられるインタビューでした。

 

 さて、宗教一般さらには道徳においても他人(ひと)を大切にしなさいということは言われます。仏教でももちろん他人を利する行い‘利他行’というものが非常に大切な教えとして示されています。私たちはこの利他の心を持つ人のことを菩薩と呼び、周りの人々を救う心を持ち続けることの大切さが伝えられています。さて、この利他の心を得るために私たちはどのような事を普段から心がけなければならないのでしょうか?そこには「利行は一法なり」ということがあるのだと私は思います。「利行は一法なり」というのは善い行いが一方通行ではないという事です。‘他人のために何かしてあげると自分の利益が減ってしまう’‘自分の事はどうでもいいから人の為に何かをしなければいけない’他を利する行いであってもこのような一方通行の行いでは本当の意味での幸せにはならないというのです。他人の為に何かしてあげることは自分にとっても幸せなことで自他ともに利益になる事、まず自分を大切にして自分を幸せにすることが結果的に他人の幸せにつながっている…これこそが本当の利他行となるのではないでしょうか。

 冒頭に紹介したスポーツ選手のイメージトレーニングですが、ただ人の喜ぶ顔を見たいというだけで力が出たのではないでしょう。人の喜ぶ顔を見るためには全身全霊で自分自身のことに集中し、全力で目の前の事に臨むことを心掛けたから自ずと良い結果が出たのではないでしょうか。

 

『自分の為はひとの為  ひとの為は自分の為 わたしもあなたも幸せになろう』

 

菩薩の利他行を目指していきたいものです。

                          住職合掌

お経いろいろ

 新しい年が明けてひと月が経とうとしています。今年は例年になく寒い日々が続いていて光雲寺のある鹿野も白に囲まれた毎日を過ごしております。インフルエンザも流行っているようですし体調にお気をつけてお過ごしくださいませ。

 

 さて、先日ある方と話しておりましたらお経の事が話題となりました。曹洞宗ではどんなお経を読むのか、お経にはどんな種類があるのか、各種のお経は何が違うのかなど色々な質問を投げかけられました。私にわかる範囲でお答えをさせて頂いたのですが、それ以上に自身がお経について知らないことが多いことに気づかされた時間でした。

 お経は元々はお釈迦様の言葉や教えを記録したものですが、時代が進む中で色々な文章や物語が追加されていって莫大な種類のお経が成立していきました。そしてお経の解釈の仕方や考え方の中心にあるお経によって仏教の派が分かれていきました。ですので、読んでいるお経を紐解くとその宗派の大切にしている考え方がわかってくるのです。

 私ども曹洞宗はどうなのかというと比較的多くの種類のお経を読む宗派といえるのではないでしょうか?法要の種類によって推奨のお経はあるのですが厳しい決まりはないようですし、事実お寺やお坊さんによっていくつかのお経の中からいくつかを自由に選んでおられるようにみえます(もちろん適当なのではないですよ)。その為読まれるお経の種類によってそれぞれのお坊さんの思想や信仰心が一番現れるのではないでしょうか。私自身もこの法要の時にはこのお経を読みたい、こういう想いを伝いたいからあのお経を読もうなどと考えながら読むお経を選んでいることが多くあります。また、時にはお経のリズムを重視することもあります。お経の文言内容はもちろん一番大切なものではあるのですが、お経は頭だけで受け取るものでもないのです。耳から入るリズミカルな音や木魚の振動などを体全体で受け取ることもまたお経の力を感じるところであるのです。お経のリズムは自然と心をリラックスさせるというような話も聞いたことがありますし、お経を聞くと穏やかに睡眠に導入できるなんて話も聞いたことがあります。また、リズミカルであることでお経の内容が頭に入りやすいということもあるのだそうです。仏教初期のお経はお釈迦様の言葉を詩の形で記憶したと言われ、リズミカルに読むことでお経を読み伝えたといいます。皆さまも法事や法要などに接する機会がありましたら、どんなお経を選んで唱えられてるのかな?どんなリズムが心を落ち着かせてくれるかな?など思いながらお経に触れられてはいかがでしょうか。

 

 今回はお経の内容というよりもお坊さんのお経の扱い方について書いた内容になってしまいましが機会があればお経の紹介や内容についても書いてみたいと思っております。今年も住職小話お付き合いくださいませ。

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